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2017.08.12

久保雅裕氏がゲストと業界本音トーク SMART USENで新番組「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」放送開始

(左から)久保雅裕氏、石田紗英子氏、設楽洋ビームス社長

 ファッションビジネス業界のウェブメディア「ジュルナル・クボッチ」の編集長兼杉野服飾大学特任准教授の久保雅裕氏が、USEN(東京、田村公正社長)が運営する音楽情報アプリSMART USENで、新番組「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」を8月10日から配信する。ファッション業界で活躍するゲストを招き、普段はなかなか聞けない生の声をリスナーに届ける。アパレルウェブでは、その模様をレポートとして一部紹介していく。第1回目のゲストはビームスの設楽洋社長。

久保雅裕(くぼまさひろ、以下久保):はい、こんにちは。久保雅裕です。どうぞお願いします。今回、アシスタントを務めていただくのは。

 

石田紗英子(いしださえこ、以下石田):石田紗英子と申します。よろしくお願いします。さあ、この番組ですけども、どんな風にしましょうかね?

 

久保:僕ずっとファッション業界にいたのですけれども、この業界ね、有名な方って結構たくさんいらっしゃるんですよ。新聞、雑誌、ネットとかでインタビュー記事を読んだりするんですけど、実際その人のお話を聞くって機会、なかなか無いと思うんです。生の声を。生の肉声から理解できることあるじゃないですか。そこで、こんな番組を作ってみたらどうだろうかということでスタートしました。

 

石田:なるほど。さあ、それでは栄えある第一回目のゲストですけども、どの方になるでしょうか。

 

久保:はい。この業界では、超有名人でございまして。SNS、フェイスブックやインスタグラムでも多くのフォロワーを持ってらして、なおかつ、セレクトショップの社長だっていう。ここまで言えばもう、お分かりいただけるかなと思いますけども。

 

石田:はい。それではお呼びしましょう。株式会社ビームスの代表取締役社長、設楽洋さんです。どうぞお入りください。

 

設楽洋(したらよう、以下設楽):こんにちは。

 

石田:いっらしゃいませ。

 

(中略)

 

久保:「タラちゃん」て、フェイスブックとかのニックネームっていうんですか。これ結構長いこと使ってらっしゃるんですか?

 

設楽:そうですね、昔の友達は「ようちゃん」って言ってたんですけど、ここ25年くらい前からタラちゃんっていうのが自然になってきたんですよね。周りの友達も、年の差の若い女の子、男の子たちもタラちゃんで通ってますね。

 

石田:気さくなお方ですから、そうやって呼ばせていただけるんですかね。フェイスブックずっと拝見してるんですけども、本当に、著名人から企業の社長さん、あのデイビットベッカムまで、ツーショット撮ったりして、ほんとに幅広い人脈ですね。

 

設楽:硬いところから、柔らかいところもね、全部。友達が多いんで、そういった人たちからいろんな情報だとかね、あるいはこう世の中の流れだとかを察知することができるなって思っています。

 

久保:今回この三人、たまたまみんな知り合いだった。さえちゃんは、どういった形でタラちゃんと知り合ったんですか?

 

石田:えーと、あれはブルーノートで見せていただいて。

 

設楽:そうですそうです。

 

石田:そこから友人に紹介していただいたのですけども、

 

久保:なるほど。美人さんだからこれはいいぞと。

 

設楽:もう、外さないです。そういうのは。(笑)

 

久保:ラテンですね。ここは、きっとカットされるんじゃないですか。
僕は、もう長いですね。繊研新聞社というところに居まして、そこで消費者に向けた媒体を出そうと「アッシユ」というのを企画して。98年ですね。設楽さんの所に、カンプというデザインラフをお持ちして、「こういうの作るので、是非配ってほしいんですけど」って。「ビームスさんのお店で配ってくれませんか」というお願いに行ったんですね。直談判ね。

 

設楽:よく覚えています。

 

久保:その時、なんて言ったか覚えてます?

 

設楽:それは覚えてない。

 

石田:ちょっとそこ聞きたいですね。

 

久保:なんて言ったと思います。「繊研さん、こんなカッコいいもの作れるの?」って。

 

(一同爆笑)

 

設楽:そんなこと言った?

 

久保:言いましたよ。「よっしゃ、カッコいいもん作ってやるぜ」ということでね、ホントにあれからずっと今だにお世話になっていますね。

 

設楽:スタートからずっとね。企画の段階だったので、「どういう風になるか」ってすごい期待してましたね。

 

久保:それ以来、20年になろうかと。実は昔話をお聞きしたいなと思っているのですけど、こういう機会なかなか無かったのでね。新聞社だとビジネス的なことばかり聞くわけですよ。「今年の売上げ目標は?」とか。ちょっと今日はそういう話ではないのでね。

 

石田:もっとこうパーソナルな。

 

設楽:そっちのほうが得意ですね。(笑)

 

久保:設楽少年は、一体どんな少年だったのでしょうか。

 

設楽:僕は1951年生まれで、ミッドセンチュリーのど真ん中に生まれて、若く見えますけれども今年66なんです。小さい頃ってあんまり物が無かったです。うちの親父が段ボールの小さい工場みたいなものをやっていて、家の隣にそれが在ったもんですから、オモチャとかは無いんで、「工場に行くと危ないから行っちゃいけませんよ」と言われてたんだけれども、遊びに行って段ボールの破片かなんかを持ってきて、それでいろんなものを作るってとこから、もしかしたら創意工夫っていうのは始まったのかなと思ってね。

 

久保:おもちゃは段ボール。

 

設楽:段ボールで、例えば腹話術の人形だとかロボットだとか船だとかそういうのを、段ボールの破片と輪ゴムと割りばしとで作ってた。それで物を作る土俵みたいなものができたんじゃないかなって思いますね。それから、当時ね。初めてテレビが来た日も覚えてますし、冷蔵庫が来た日も洗濯機が来た日も覚えてます。そういった段々と物が増えていってという歴史の中で、「なんか面白いことができないかな」っていうのはしょっちゅう思ってましたね。

 

久保:趣味はあったのですか。

 

設楽:当時から僕はジャンルを問わずいろんなものをやったんですね。絵を描くのも好きでしたし、それから音楽やるのも好きでしたし、スポーツも好きでしたし。ただ何でもこなすんですけど、その道のプロには敵わない。画家や建築家、ミュージシャンであったり、クリエイターや職人さんだとか一芸に秀でた人にものすごい憧れたんですね。自分はなんでも結構できるのだけど、その道のプロには敵わないってことがあって、それが恐らく、後のセレクトにつながったんじゃないかと。セレクトというのは、そういうプロたちをプロデュースすることが、あるいはフィーチャーすることが、それもクリエーションだったと思っています。そういう育ちをしました。

 この後、「学生生活」「電通とビームスの二足の草鞋」「話題の年賀状」「外部とのコラボ」「40周年のVTR」「正しい選択と温かい選択の話」「ビームスのDNA」など話題は尽きない。

 

 40分に渡るトークの全貌はコチラ→http://smart.usen.com/ch02494/

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