PICK UP
2025.12.25
【2011春夏-2026春夏 コレクション ハイライト】コレクションを「見る」ということ ーファッションショーの役割を2025年に考える
Quick View|この記事の要点
・ファッションショーは「新作発表」から「体験と価値観を共有する場」へと変化してきた
・トレンド装置としてのコレクションは、2010年前後に一度その役割を問い直されている
・ストリートとコレクションは分離を経て、ラグジュアリーによって再接続された
・「See now, Buy now」やパンデミックは、ショーの存在意義を改めて浮き彫りにした
・2025年現在、コレクションは流行を生む場ではなく、文脈を提示する場になっている
・ファッションショーは、どのように変容し、2025年の現在地で何を伝えているのか
ショーは「新作発表」から「体験共有」の場へ
写真左から:新世代のディレクターが手がけた「ドリスヴァンノッテン」「シャネル」「ディオール」「メゾン マルジェラ」2026春夏コレクション
Courtesy of Dries Van Noten、Chanel 、Dior、Maison Margiela
2025年に行われた各地のファッションウィークやデザイナーのショーを取材・編集して感じるのは、ファッションショーが新作発表の場という役割を超え、体験や価値観を共有する場へと移行してきたという点だ。この流れはここ数年で突然生まれたものではなく、時間をかけて積み重なってきた変化が、現在ひとつのかたちとして表れている。
ファッションウィークを振り返ると、ショーは常に同じ役割を担ってきたわけではない。トレンドを生み出す装置であり、ブランドの思想を伝えるメディアであり、ときには時代の空気そのものを映す存在でもあった。これまでの変遷を踏まえながら、ファッションショーとは何を伝える場なのか、そして2025年という現在地から、その意味をあらためて考えてみたい。
ファッションショーは元々、ファッションの総合芸術と言われていたが、今はとびっきりの才能を集めたコンテンツだ。もはや単に次のシーズンの服を見せる場ではない。音楽や空間演出、キャスティングやストーリーテリングを含め、ブランドが何を大切にし、どのような世界観を描こうとしているのかを体験として共有する場になっている。ショーはプロダクトの発表であると同時に、価値観を伝えて潜在顧客とつながるものとなった。
トレンド装置としてのコレクションが揺らいだ時代
写真:「ディオールオム」2011春夏コレクション
Photo by Koji Hirano
ファッション業界では「パリコレに行っても新しいものはない」という言葉は昔から聞かれた。1980年代まで続いていた、コレクションで提示された新しいルックが限られた関係者に共有され、やがて市場へと広がっていくという図式は、すでに揺らぎ始めていた。トレンドは一方向に流れるものではなくなり、コレクションが果たしてきた役割そのものが問い直される時代に入っていた。
こうした揺らぎの中で、1990年代以降はストリートカルチャーやユースカルチャーが市場で存在感を強めていく。日本では裏原系ムーブメントやギャル文化がリアルな消費を牽引し、コレクションで示されるトレンドとは別の動きでスタイルが更新されていった。リアルな市場で生まれるトレンドと、コレクションで提示されるトレンドは分離し、並行して進む時代が続いた。
2010年代後半から「上から下へ」が崩れ始める


写真:「ルイ・ヴィトン」2017秋冬メンズコレクション
Courtesy of LOUIS VUITTON
その流れに再び変化をもたらしたのが、2010年代半ば以降に広がったラグジュアリーによるストリートの再解釈だ。ロンドンでは若い世代のデザイナーがストリートカルチャーを新たな文脈で提示し、パリでは2016春夏シーズンの「アレキサンダー・マックイーン」をひとつの起点として、この動きが広がっていった。2017秋冬シーズンには「ルイ・ヴィトン」が「シュプリーム」とのコラボレーションを発表し、ラグジュアリーストリートの流れはピークを迎える。
この流れから、「オフホワイト」や「パーム・エンジェルス」といったこれまでブランドが台頭し、ストリートトレンドを再編集する動きが定着していった。コレクションは再びリアルな市場と接続し直されることになる。
こうした変化の中で、コレクションを単発の出来事としてではなく、流れとして捉える必要性が高まっていった。apparel-web.comでは、コレクション取材自体はそれ以前から行ってきたが、各シーズンの動きを定点的に整理し、全体像を伝える「コレクションレポート/ハイライト」という形式が定着したのは、およそ15年前になる。
「See now, Buy now」が突きつけた問い


写真:「See now, Buy now」を続けた「バーバリー」の2017フェブラリーコレクション
Courtesy of Burberry
同じ時期、発信手法にも大きな変化が生まれた。「See now, Buy now」に象徴されるように、オンラインメディアやSNSの普及によってコレクション画像の拡散が当たり前になり、「見たものをすぐに買えない」ことへの違和感が顕在化した。こうした流れの中で、「バーバリー」や「トミー・ヒルフィガー」といった比較的アフォーダブルなラグジュアリーブランドが、ショーで発表したアイテムを即時購入可能にする取り組みを行った。
この動きは「ファッションの民主化」とも呼ばれ、SNS上ではコレクション不要論が語られるきっかけにもなった。しかし結果として、この発信手法は主流にはならなかった。コレクションブランドが持つ時間軸や創作プロセスは、一般的なマーケティングのスピードとは必ずしも一致しない。その特殊性が、あらためて浮き彫りになったとも言えるだろう。
写真:「ケンゾー」2020春夏コレクションはオープニングセレモニーの創立者であるウンベルトとキャロルが手がけた最後のコレクションとなった
Photo by Ko Tsuchiya
2020年以降 –パンデミックが問い直したショーの存在意義


写真:「セリーヌ」がデジタルで発表した2021サマーコレクション
Courtesy of CELINE
ファッションショーの在り方を根本から問い直すことになったのが、2020年のパンデミックである。ファッションは「不要不急」とされ、ファッションウィークは一時的にデジタルへと置き換えられた。この局面で、消費者は「洋服は本当にそんなに必要なのか」を、業界は「ショーは本当に必要なのか」を、それぞれ考えることになった。
この時期に顕著になったのが、ローカルへの再注目だ。日本では国内デザイナーへの関心が高まり、東京ファッションウィークを起点にパリへ進出する動きが目立つようになった。一方で韓国ファッションは、セレブリティマーケティングとSNS、UGCを組み合わせることで、世界的な認知を急速に高めていった。
現在、パリは依然として世界最高峰のファッションウィークとしての地位を保ち、職人技やアクセサリーといった別ベクトルでミラノがそれに続く。ロンドンやニューヨークはローカル色を強め、東京は世界へ向かうためのゲートウェイとしての役割を担うようになった。
2025年を象徴する二つの出来事


写真左:「ジョルジオ アルマーニ」2026春夏メンズコレクション Courtesy of ARMANI
写真右:「ディオール」2026春夏メンズコレクション Courtesy of DIOR
そのような状況の中で迎えた2025年、象徴的な出来事として語られるのが、ジョナサン・アンダーソンの「ディオール」就任と、ジョルジオ・アルマーニの逝去だ。アルマーニはソフトスーツという新たなルックを生み出し、モードにおける男性像を更新したデザイナーであり、ひとつの時代を築いた存在だった。
一方でジョナサン・アンダーソンは、ジェンダーの概念やアートとファッションの関係性を更新し、世界に散らばるマイクロトレンドを再解釈する才能を持つデザイナーだ。彼がディオールで提示したのは、パリの伝統的なBCBGスタイルをベースにしながら、相反する要素を組み合わせるアプローチだった。それは、従来の「コレクショントレンド」「ストリートトレンド」「リアルトレンド」を横断する試みでもある。
だからこそ、コレクションは面白い
新しいものを生み出さなければならない場でも、特別な人が情報を得る場でもなくなった今、コレクションは多層的な価値を内包する場になっている。現地に足を運ばずとも、その世界観に触れることができる環境も整った。
コレクションの形式や役割は、これからも変わり続けていくだろう。それはファッションが社会から浮き出るものだからだ。ただ、変化の中にある意図や文脈を読み取り、記録し、言葉にする営みそのものは、今後も必要とされ続けるはずだ。2025年の現在地から見たとき、ファッションショーはその役割を静かに更新しながら、次のフェーズへと進んでいる。





