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2023.06.30
COACHの “Comeback” – 2000年代の流行から低迷期を経て、人気が再燃した理由とは
2000年初期はコーチにとって全盛期であったともいえるだろう。
レッドカーペット上でも、セレブがこぞってあの印象的なモノグラムのバッグを持ち歩いていた。
惜しくもその人気は長続きせず、いつの間にか「流行遅れ」「古くさい」といったイメージがついていたが、実はここ数年、若い世代に再び支持され始めている。
一体何があったのだろうか?本記事では、全盛期から低迷期、そこから“カムバック”と言われるまでになった復活劇を追い、更にはブランドの今後についても垣間見る。
始まり~全盛期~低迷期
まず、その歴史に目を向けると、コーチは1941年にニューヨーク・マンハッタンで革製品の工房として始まった。
創業者のマイルズ・カーンとリリアン・カーンは夫婦で6人の職人を率いた。彼らは野球用グローブからヒントを得た「グラブタンレザー」を開発するなど、コーチは高いクラフトマンシップの伝統を継承していくこととなった。
その後、時を経て1979年にコーチに参画したビジネスマンのルー・フランクフォートのもと、高い品質と手の届きやすい価格で、中流階級層をターゲットとし、世界に名が知れるブランドへと成長する。“Accessible luxury”の名を手にするのであった。
1996年にはリード・クラッコフがクリエイティブディレクターに就任。ブランドイメージの活性、ポジション向上に大きく貢献し、売上を5億ドルから50億ドルに伸ばしたと言われている。2000年にはIPOを果たした。
コーチのアイコンともいわれるのが、2001年に発表したコーチ・シグネチャー・コレクションである。大胆にコーチの頭文字”C”をあしらったモノグラム柄をフィーチャーしたこのコレクションは、様々なスタイルやカラーで展開された。これが大ヒットし、2000年代初期を代表する“It Bag”となったのである。
しかし、人気を得ることもデメリットとなりうる。高い人気に加えてデザインのインパクトの大きさも相まり、“It Bag”としての特別感を失うのは宿命であった。
また、不幸にもモノグラムは偽物を作る輩の恰好の餌食でもあった。加えて同時期にコーチはとにかく店舗数を増やそうとしたがそれも上手くいかず、多くの商品がディスカウントショップに置かれる始末となった。
この状況は、コーチのブランディングにおいて痛手である。このような状況の中、ブランドは低迷期に入っていくことになる。
復活に向けて
低迷期に入ってしばらくした2014年、コーチはビクター・ルイスをCEOに迎える。(実は彼のコーチへの初参画は2006年、コーチジャパンのCEOとしてである。その後様々なポジションを経て全体のトップとなる。)
彼のもと、業績の立て直しを目指して5カ年計画を立てた。消費者嗜好や市場の変化に対応すべく、プロダクト、店舗のコンセプト、マーケティングの改善が計画の中に組み込まれた。
「コーチは、ファッション的な信頼を取り戻す必要があった」とルイスは語る。まず、デザインディレクションの転換に彼らは立ち切った。
2000年頃のコーチの成功をけん引したリード・クラッコフに代わり、2013年にスチュアート・ヴィヴァースが新たにクリエイティブディレクターに就任した。
スチュアートのもと、コーチのデザインは、身なりの良いWASP(White Anglo-Saxon Protestantsの略、白人の中・上流階級層を指すことが多い)的、プレッピーな印象から、ブランドのルーツを顧み多様性・インクルーシブ・個性の街、ニューヨークを体現するようになった。
画像はニューヨークにあるフラッグシップストアの様子だ。ポップな恐竜のアイコン“REXY”やカラフルなパレットがどこかニューヨークらしさを醸し出しているのを感じる。
また、バッグのデザインもモダン仕様にアップデートされた。2000年代によくみられたゆるい形状から、よりモダンでしっかりした構造のデザインになった。
バッグなどのアクセサリーだけでなくアパレル商品の展開にも踏み込み、名だたるヨーロッパ系のデザイナーブランドのように、シーズン毎にランウェイでコレクションを発表した。
その他にも、キース・ヘリングなどアーティストとのコラボを行うなどしてブランドは徐々にその新しい姿を形成していった。
こういった新しいコーチの姿を世に認識してもらうため、彼らはマーケティングにも力を入れた。
Written by Ruqa Oida, btrax Japan Marketing Intern