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2018.01.12

第6回目ゲストはビームス創造研究所の青野賢一氏 「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」

 USEN(東京、田村公正社長)が運営する音楽情報アプリSMART USENで配信中の「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」。ウェブメディア「ジュルナルクボッチ」の編集長兼杉野服飾大学特任准教授の久保雅裕氏が、ファッション業界で活躍するゲストを招き、普段はなかなか聞けない生の声をリスナーに届ける。アパレルウェブでは、その模様をレポートとして一部紹介。第6回目のゲストはビームス創造研究所の青野賢一氏。

久保雅裕(以下:久保):「ビームス創造研究所」という特殊というか、ちょっと変わったポジションというか部署。南馬越一義さんという人が所長で。

 

青野賢一(以下:青野):はい、僕が所属している「ビームス創造研究所」というのは、2010年にできた部署なんですけど、それまで何をやっていたかっていうと、87年、大学生でしたが、ビームスで販売スタッフのアルバイトを始めるんですね。それで卒業してそのまま社員になっちゃうんです。社員になってからもお店に立って、接客する仕事をやっていました。その後97年ぐらいにPR部門、一般的に分かりやすい言葉でいうとプレスという職種で言われますけども、そこに移ってから今の部署ができるまで、プレスの仕事をずっとやっていまして。それと並行して、音楽部門でBEAMS RECORDSというのを1999年にレーベルを、2000年にお店を作るんですけど、それのディレクターもやって、あと2005年くらいから2010年まで、Webのスーパーバイザーという仕事もやっていました。だから3つ、会社の仕事は掛け持ちでやってたんですね。それで、2010年にビームス創造研究所を新設するんで、そこをやってくれない?という話で。まあ、あんまり聞き慣れない名前というかね。何するかっていうと、会社の外の仕事をやってきてくださいと。

 

石田紗英子(以下:石田):外の仕事?

 

青野:会社の人って会社の仕事やるじゃないですか。非常に僕今当たり前のこと言いましたけど。商品を仕入れる人は自分のお店で売るための商品とかeコマースで売るための商品を仕入れるわけで、それがどこかの他の会社のお店のために仕入れるとかって無いですよね。ちょっと極端な例ですけども、僕らの部門だと会社の中のことをやるんじゃなくて、会社の外に出てって、外にクライアントさんが居て、外の方とお仕事をして、なんらかのバリューを会社にフィードバックするというか、それがお金である場合もあれば、お金じゃないバリューという場合もありますけども。まあそういう感じの外仕事ですよね。

 

石田:具体的に伺ってもよろしいですか?例えば…

 

 

青野:自分のやってきたのは、例えば免許持っていませんけど、車のPRの仕事とか。特設サイト作って、それのコンテンツの編集をやったりですとか。あとは、よそのブランドさんのキャンペーンのクリエイティブ・ディレクションをやったりとか。

 

石田:コンサルティングみたいな感じですかね、センスを求められて。

 

青野:コンサルティングって言うとちょっと堅い感じに聞こえますけど、何て言うんですか、来た球は打ち返すっていうか。「まあ何でもやりますよ」というスタンスで臨んでますけどね。

 

久保:普通のアパレルとかファッション系の店ではなかなかないパターンで。その辺がビームスらしさというかね。自由度をすごく反映して。初回に設楽さん来て頂きましたけど、なんかこう、動物園みたいな会社ね。(笑)

石田:ちょっとじゃあ、時代をさかのぼってもよろしいでしょうか?

 

青野:もちろんです。

 

石田:まず、青野さん。どういう少年だったのか。

 

青野:少年時代ですか。さっきも言いましたけど、僕1968年生まれですからバリバリ昭和の子なわけですよね。僕の母親は、中学から短大まで目白の川村に行ってて、川村出てから文化と桑沢のダブルスクールで、それやりながらどこかのブティックで販売のアルバイトをやってたらしいんですよね。その後フリーのパタンナーとか、当時だとデザイナーズブランドのサンプル作ったりとか、そういう仕事を家でやってたんです。そんなのもあって、服はすごい身近にありましたよね。

一方で、さっき昭和の子って言いましたけど、僕らの時の男の子はだいたい運動っていうと野球かサッカーかみたいな。ちょっとバスケが出てきてこの子たちはモテるかな、とか色々あったと思うんですけど、僕は野球部だったんですよね。スポーツ少年団で軟式野球をやっていて、小学校の4年生からですかね。ちょうど、『ドカベン』とか、そういう時代ですよね。なので、あとテレビの再放送で『巨人の星』とかやってまして。

 

<中略・YMOにのめり込む話へ…>

 

久保:大学の学部は?

 

青野:僕は経済学部の経済学科です。

 

久保:あれ、絶対文学部だと思ってたんだけど。そうなんだ。

 

青野:そうなんですよ。そこがちょっとなんかおかしいんですよね。

 

久保:イメージと違うもん。文学の仏文みたいなそんな感じ。

 

青野:経済学科でしたね。3~4年のゼミは、西洋経済史というヨーロッパの経済史を専攻してましたけど。で、1年生の夏ぐらいにあの、自分で服買うお金とかレコード買うお金とか、その位は自分で稼げって話になるじゃないですか。そりゃあそうだよなって。実は僕それまでアルバイトってものを一切したことがなくて。

(左から)久保雅裕氏、石田紗英子氏、青野賢一氏

<中略・ビームスのアルバイト時代の話へ…>

 

久保:物書きもやるし、音楽もやるし、バンドもやってるし、しかもファッションも。ファッションがメインだけど。特に物書くという作業は、結構インプットを蓄積していかなきゃいけないじゃないですか。どういう背景というか、どういう育ち方をしたらそうなるの?っていうのをちょっと聞きたいんですけど。なんか物を深く追及するとか、あるいは調べるという癖をつけたとか、そういうことがあったんですか?若い頃や小さい頃に。

 

青野:まず一つは、単純に自分が興味を持って読んでた本がそういうスタイルの本が多かったっていうのはありますよね。さっき言った澁澤龍彦もそうですし、あとはドイツ文学者の種村季弘。この2人は自分の文章のスタイルを形成していく上でものすごく重要で、でもその一方でやっぱり経済学的な物事の紐解き方っていうんですかね。基本的に今の経済学って、近代経済学は数学ですから、僕は本当に数字苦手なんですけど、「なぜ風が吹くと桶屋が儲かるか」というのを理論的に説明出来る学問ではあるので、そのロジカルな部分というのは大学4年間で身に付いたんじゃないかなと思いますね。ですから、感覚的な、パッと見たものとか、ちょっと疑問に思ったことというのをどういう風にロジカルに説明出来るかというのは実は経済学の影響が大きいかもしれないですね。

久保:これだけ文章書いたり、それから文化的な事というんですかね。映画も含めていろいろ批評もされて。でも本業はファッションの世界でやってきた。ファッションと文化…、なかなか日本ではファッションが文化まで持ち上げられない。そういう中で文化的価値みたいなものをどうしたら高められるのか。ファッション業界の中で文化人みたいなフリしてるじゃないですか。(笑)

 

青野:フリってなんですか。(笑)

 

久保:そういう視点から見た時、どうしたらいいと思います?

 

 この後、ファッションと文化の話、ファッション業界を目指す若い人へのメッセージと続きます。

詳細は、SMART USENで。
http://e.usen.com/enjoy-u/19857/

 

■青野賢一(あおの けんいち)
ビームス創造研究所(HALS)クリエイティブディレクター、BEAMS RECORDSディレクター。株式会社ビームス入社後、プレス、広告制作、ウェブサイトのスーパーバイザーなどを経て現職。ビームスの社業以外に、DJ、選曲家としての音楽活動、雑誌やウェブ媒体での執筆活動、イベントやPR企画のディレクションやオーガナイズも手掛けている。

 

■久保雅裕(くぼ まさひろ)
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任准教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。

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