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2019.09.12

【現地レポート】香港アパレルの復興を“techstyle(テックスタイル)”で支える 老舗紡績企業・南豊集団の新施設「ザ・ミルズ」【1/2】

取材・文:戸田美子

 香港ではいま、スタートアップ企業が続々と誕生している。政府の後押しもあり、香港におけるスタートアップ企業の数は2018年、前年比18%増の2,600に達した。繊維産業の都市として栄えたものの、生産拠点の主軸が賃金の低い中国本土にシフトして以降、その発信力を弱めている香港。競争力向上のためには新しい産業の育成・振興が急務となっている。その1つの施策がスタートアップによるイノベーションを支援すること。

 

 その動きはファッション業界も例外ではなく、デジタル技術を用いたウエアラブルデバイスや、サステナブルな生産工程でマスカスタマイズに対応するデニム、AI画像認識によって最適な商品を提案するショッピングアプリなど、イノベーティブ(革新的)な商品やサービスが開発され、活気を見せている。その舞台となっているのが、「ザ・ミルズ」。かつての紡績工場をリノベーションしたザ・ミルズは、スタートアップによる共同オフィスを備え、若手の企業・ブランドの活動を支援。政府や企業との連携を強め、イノベーションによる業界活性化に大きく寄与し始めている。

 

 香港ファッション産業を“textile(テキスタイル)”ではなく、“techstyle(テックスタイル)”で支えようとするザ・ミルズの取り組みについて、インキュベーション施設ザ・ミルズ ファブリカで共同ディレクターを務めるアレックス・チャン(Alex Chan)氏と、同施設の建築デザインを手掛けたレイ・ジー(Ray Zee)氏に現地で話を聞いた。

香港アパレルの過去・現在・未来を映し出すザ・ミルズ

  • 太平桶は、火災に備えて砂を入れておくためのバケツ。現在は施設内のサイネージの一部として再利用されている

  • 紡績工場だった頃の構造をそのまま残したザ・ミルズ

  • ザ・ミルズのショップフロアに入り、まず目に飛び込んでくるのがこの大きな階段。来訪者のフォトスポットに

  • ザ・ミルズのショップフロアに入り、まず目に飛び込んでくるのがこの大きな階段。来訪者のフォトスポットに

  • 工場の入り口に取り付けられていた扉もモチーフとしてそのまま残っている

  • ザ・ミルズの屋上庭園。建築デザインを手がけたレイ・ジー氏は、日本の建築物にも影響を受けたという

  • ザ・ミルズの模型

 大型ショッピングモールや国内外の有力ブランド店が立ち並ぶ香港有数の観光地・尖沙咀(チムサーチョイ)から地下鉄茎湾線でおよそ25分。終点・茎湾(センワン)駅からさらに徒歩15分ほどの場所に広がる工業地帯に「ザ・ミルズ(The Mills)」はある。1954年創業の老舗ニット企業・南豊集団の紡績工場「南豊紗廠」の一部をリノベーションして作られた複合商業施設として、2018年12月に開業した。総工費7億香港ドル (8,950億米ドル) 、約26万平米の延床面積を誇る同施設は、ファッション関連のスタートアップのための共同オフィス「ザ・ミルズ ファブリカ(The Mills Fabrica/南豊作坊」、小売り店や飲食店などを集積した物販エリア「ザ・ミルズ ショップフロア(The Mills Shopfloor/南豊店堂)」、紡織業界の歴史などを紹介する展示スペース「センター フォー ヘリテージ アーツ&テキスタイル(Centre for Heritage Arts & Textile/六廠紡織文化芸術館(通称:CHAT))」と3つのエリアで構成している。

 

 開業からおよそ8カ月。紡績工場だった当時の構造や外観を残しながらも、近代的でアーティスティックな空間は、すでに茎湾地区の新しいランドマークとなっているようだ。「若者からお年寄りまで、幅広い世代からの支持があり、私たちも非常に嬉しいです」と話すのは、ザ・ミルズの共同ディレクターを務めるアレックス・チャン氏。

 

 「この地域の繊維工場で働いていた方々が、かなり多く来場していることがわかっています。彼らはザ・ミルズに来て、香港の繊維産業の黄金期を思い出すとともに、かつて自分たちが働いていた場所が息を吹き返し、茎湾地区の人々、とりわけ次世代の人々の役に立っていることを実感しているんです。

 

 若い世代にとってザ・ミルズは、茎湾の中で最もホットなスポットの1つとなっています。彼らは、ここでの体験をソーシャルメディアでシェアしてくれるだけでなく、今日における香港の繁栄の基盤が何なのか、そしてこのエリアの歴史についてもっと知りたいと思ってくれています。無料のガイドツアーにも常に多くの予約があり、強い関心を持ってくださっていることがわかります。家族連れにとっても、ザ・ミルズは魅力的な場所です。かつての織物工場は、生産拠点としての黄金期を経験した香港を学ぶのに、これ以上いい場所はないでしょう」

 

香港の繊維産業をけん引してきた南豊集団

  • H&M FoundationとHKRITAおよびNovetex(ノヴェテックス)のコラボレーションで生まれた小型コンテナ「衣類から衣類へのリサイクル・システム(Garment-To-Garment Recycling System)」を導入。アップサイクルブランド「alt:」

  • H&M FoundationとHKRITAおよびNovetex(ノヴェテックス)のコラボレーションで生まれた小型コンテナ「衣類から衣類へのリサイクル・システム(Garment-To-Garment Recycling System)」を導入。アップサイクルブランド「alt:」

  • パーツを組み合わせてカスタマイズできる時計ブランド「EONIQ」。3人の若手企業家が2015年にスタート

  • パーツを組み合わせてカスタマイズできる時計ブランド「EONIQ」。3人の若手企業家が2015年にスタート

  • パーツを組み合わせてカスタマイズできる時計ブランド「EONIQ」。3人の若手企業家が2015年にスタート

  • パーツを組み合わせてカスタマイズできる時計ブランド「EONIQ」。3人の若手企業家が2015年にスタート

  • パーツを組み合わせてカスタマイズできる時計ブランド「EONIQ」。3人の若手企業家が2015年にスタート

  • ハンドメイドのボディケア&ホームウエアブランド「Wood Polar」

  • 専用アプリでTシャツをカスタマイズできる「Snaptee」

  • サステナブルなライフスタイルブランド「The Sample」

  • サステナブルなライフスタイルブランド「The Sample」

  • キッズ向けの屋内遊び場「The Big Things」

  • キッズ向けの屋内遊び場「The Big Things」

  • キッズ向けの屋内遊び場「The Big Things」

  • ザ・ミルズ ショップフロア

 現在は香港最大手の不動産デベロッパーである南豊集団が、ザ・ミルズの建設に着手したのは2014年。創設者は、同グループの創業者D.H.チェン(Chen Din Hwa)氏の孫娘ヴァネッサ・チャン(Vanessa Cheung)氏。「ヴァネッサ・チャンは、プロジェクトを通じて南豊集団のコアの部分、つまり南豊集団自身がイノベーティブな起業家精神を持っていることを表したかったのです」と語るのは、ザ・ミルズの建築デザインを手がけ、自身も香港の老舗ニットメーカーの家系に生まれたレイ・ジー氏だ。

 

 「例えば1970年代、南豊テキスタイルは新しい空気紡績技術を香港に最初に導入し、生産能力を大幅に伸ばすことに成功しました。ザ・ミルズは、私たちが保有する文化的遺産を象徴するものであり、創造性と革新がある未来への一歩を象徴する存在です。南豊集団が最初に手がけたビジネスは綿紡績業であり、それを通じて香港の人々の生活にふれてきました。

 

 また、「南豊紗廠」は、創業者のヴァネッサの家族が、香港におけるルーツを確立した場所でもあります。1960年代から1970年代にかけて、香港はアジア最大の繊維輸出都市の1つでした。都市の人口の大部分が衣料産業に携わり、「南豊紗廠」も非常に重要な役割を果たしました。香港経済の形成に貢献し、香港の繊維産業を象徴する拠点の1つとなりました。

 

 ヴァネッサは、南豊紗廠が南豊集団の誇りと喜びを象徴する存在であったことに刺激を受け、再び変革を起こすために動き始めました。かつての紡績工場を刷新することは、彼女の家族の起源や遺産を再認識する作業でもありました。そして、南豊紗廠を地域社会に還元することで、再び意味のあるものとして再生させたのです」

香港政府やファッション業界も注目 インキューベーターしての取り組み

ザ・ミルズの建築デザインを手がけたレイ・ジー氏

 ザ・ミルズを構成する3つのエリアについて、ジー氏は、「香港の過去、現在、そして未来を象徴する3つの柱が相互に補完し合うことで成り立っています」という。

 

 「「過去」の歴史は、CHATでの芸術・教育の展示やプログラム、ワークショップを通じて学ぶことができます。「現在」を表すザ・ミルズ ショップフロアは、さまざまなテナントや新興企業がテストマーケティングを行うのに理想的な場所です。家主である私たちは、柔軟な入居条件や顧客へのプロモーション、来場者が気軽に参加できるワークショップなどを通し、テナントを全面的にサポートしていきます。

 

 また、「未来」はザ・ミルズ ファブリカにあります。ザ・ミルズ ファブリカがほかのインキュベーターと異なるのは、新しいスタートアップの夢を実現するためのプラットフォームであり、起業家や専門家、投資家、学術機関と連携しながら統合的なアプローチで支援していく点です」(ジー氏)

 

  • 展示スペース「CHAT」では、アパレル産業のイノベーションの歴史を辿るイベントなどを開催

 香港ファッションの“未来”を担うザ・ミルズ ファブリカは、インキュベーション、ファンド、共同オフィス・ラボ・リテールの提供――という3点を通じてスタートアップを支援・育成する機関。同機関がサポートを行う条件となる“techstyle”とは何か。

 

 「1つ目は、より高品質で低コストな生産体制を維持しているサステナブルなスマート素材や生産プロセスです。2つ目は、デザインとテクノロジーを融合させたアパレルとウェアラブル製品です。これは、現実的なニーズに対応するイノベーションと優れたデザインと統合し、かつ優れたストーリー性やコミュニティーを生み出すブランドを指します。パーソナライズができたり、機能性を高めることにより、顧客のより深いアイデンティティを表現することができるライフスタイル製品ともいえるでしょう。

 

 そして3つ目は、新しい小売り体験です。オンラインとオフライン双方のショッピング体験を組み合わせ、より多くの顧客データを取得するとともに、レンタルやリセール(再販)などを通じてアパレルにおけるよりよいサーキュラー(循環型)システムを生み出していることが重要だと考えます。この3つの分野のいずれかに当てはまるスタートアップを対象に、グローバルな投資を行っています」(チャン氏)

 

 すでに13社のスタートアップ企業をサポートしてきた。

 

 「ザ・ミルズ ファブリカのミッションは大きく2つあります。1つは、スタートアップ企業の成功事例をより多く作ること。2つめは、さまざまな企業・団体とグローバルなパートナーシップを結び、ファッション業界のイノベーションを推進するためのコミュニティ形成やプラットフォーム構築を進めることです。

 

 業界向けイベントや国際的な展示会などを通じて露出を増やし、有力なメーカーやブランドとのコネクションを強めてきました。13社のうち3社はシリーズAで、別の3社はシードステージでそれぞれ資金調達を完了。その他の企業はブランドとして独立したり、社会的企業として成功しています。13社はいずれも多様なバックグラウンドを持っていますが、このうち7社が女性の創業者あるいはチームリーダーを擁しているのも特徴的ですね」(チャン氏)

 

 ザ・ミルズ ファブリカの取り組みは、香港政府や香港ファッション業界との連携を深めながら、存在感を高めている。

 

 「成果の1つとしてあげたいのが、支援している企業の多くが、大企業とのテスト運用や、エコシステムを生み出すビジネスモデルへの認知が高まり、ファッション業界に影響を与え始めていることです。例えば、指輪型スマートデバイスの「オリー(ORII)」は、香港政府が選ぶスタートアップ企業の香港代表として海外でプレゼンテーションを行ったり、香港政府によるスタートアップ企業支援プロジェクト「サイバーポート」によるマイクロファンド「Hong Kong Cyberport Micro Fund」の投資対象になっています。サステナブルな製造方法でデニムをマスカスタマイズする「アンスパン(Unspun)」は、H&M財団が主催する「グローバル チェンジ アワード」を受賞し、すでに複数のブランドとテスト運用を行っています。また、ショッピングアプリ「Goxip」がシンガポールで事業を拡大したり、女性の新ワークウエアを提案する「Simple Pieces」が中国市場で急速に伸長するなど、市場拡大にも成功しています」(チャン氏)

 

 企業・団体とタッグを組み、イノベーションを促進するためのコミュニティー形成やプラットフォーム構築を行うことも、スタートアップ支援における成果の1つ。

 

 「イベントを開催し、ファッション業界で同じ価値や熱意を持つ人々や企業のための場を提供することで、コミュニティーを形成する、という活動を続けてきました。これまでに、サステナブル・ファッションのインキュベーターであるオランダの「ファッション フォー グッド(Fashion for Good)」やH&Mグループの創業者が立ち上げた非営利団体「H&M財団」、シンガポールの「TaFF(Textile and Fashion Federation)、台湾のテキスタイルメーカー「ファー イースタン ニュー センチュリー(Far Eastern New Century)」など16の企業・団体と正式なパートナーシップを結びました。また、「Techstyle Futures」シンポジウムや、「StartmeupHK」(2018・2019年)、「RISE」(2018・2019年)など、国際的なイベントに携わることで、techstyleな企業や団体のためのコミュニティーを作り上げてきました。

 

 もちろん、私たちザ・ミルズもファッション業界が結束するための重要なプラットフォームの1つであると捉えています。私たちは過去1年間、スペースとラボを合わせて50を超えるイベントとワークショップを開催し、1,800人以上の業界関係者に参加していただきました。また、英国セントラル・セント・マーチンズや香港理工大学など国内外の名門大学や教育機関とパートナーシップを結び、学生たちの研究開発を支援しています。ザ・ミルズ・ファブリカにおいてプロジェクトを継続できる「イノベーション レジデンシー プログラム」という制度を設け、これまでに4組の学生プロジェクトが活動を行っています。

 

 さらに、香港におけるインキュベーション・プログラムが順調に成長しているのを踏まえ、ザ・ミルズ・ファブリカは、新しい越境型の新しいインキュベーション・プログラムを英国で開始しました。英国や欧州のスタートアップは、ザ・ミルズ・ファブリカの中国市場におけるコネクションやネットワークを活用することができます。2組の支援企業によるテスト運用が2019年6月に正式にスタートしました」(チャン氏)

  • ザ・ミルズ ファブリカ。ウエアラブルデバイスの「ORII」も入居

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  • カスタマイズデニムの「UNSPUN」。ファブリカでは3Dスキャンシステムも設置

  • カスタマイズデニムの「UNSPUN」。ファブリカでは3Dスキャンシステムも設置

  • ザ・ミルズ ファブリカの共同オフィス

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  • ザ・ミルズ ファブリカの共同オフィス

  • ザ・ミルズ ファブリカの共同オフィス

  • ザ・ミルズ ファブリカの共同オフィス

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