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2019.08.09

ゲストはエストネーションカンパニー プレジデントの大田直輝さん 第25回SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」

 USEN(東京、田村公正社長)が運営する音楽情報アプリSMART USENで配信中の「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」。ウェブメディア「ジュルナルクボッチ」の編集長/杉野服飾大学特任教授の久保雅裕氏とフリーアナウンサーの石田紗英子氏が、ファッション業界で活躍するゲストを招き、普段はなかなか聞けない生の声をリスナーに届けるが、アパレルウェブでは、その模様をレポートとして一部紹介していく。第25回のゲストは株式会社サザビーリーグ・エストネーションカンパニーのプレジデント、大田直輝氏。

<前略・オープニングトーク>

 

石田:この番組では、ゲストの方がどのような人生を送ってこられたかを伺っているのですが、大田さんは福岡のご出身でいらっしゃいますね。

 

大田:はい。もともとは炭鉱の町だったんですよ。水巻町という北九州の隣町なんですけど、炭鉱での仕事を生業にする人たちで形成されていました。

 

久保:子供の頃、炭鉱はまだ稼働していたのですか?

 

大田:ちょうど閉山した頃でした。僕の家の上が全て炭坑で働く人たちの社宅で、100軒くらいあったのですが、ほとんどが北九州などに移り住んでいきました。徐々に過疎化というか、子供も少なくなっていって……。僕が小学生の頃は6学年の全部が1クラスになっていました。

 

久保:1クラス40人ぐらい?

 

大田:ええ。地域にはそんなに子供が多くなかったので、歳上の子たちに遊んでいただいていました。両親は教育者で、兄貴と妹はすごく優秀だったので、愛情注ぎながら育てていましたね。僕については、20歳ぐらいまで「どうなるんだ、こいつは」という感じでした。でも僕が30歳を過ぎたぐらいからでしょうか、親も「やっぱり遊びが一番学ぶなあ」と言うようになって。遊んでいることが一番、人生として学びが多いはずだということを、結婚式などの祝辞でよく話していましたね。

 

久保:小学校の頃から服が好きだったのですか?

 

大田:そうですね。親戚からも「おしゃれだね」とよく言われていました。今日はボタンが無い服ですが、僕は今もだいたい第一ボタンは留めるんです。「三つ子の魂」じゃないですけど、親父もいつも第一ボタンまで留めていましたね。「きちんとしろ」みたいなことで。そういうところをすごく学んだというか、育まれたんだなと思っています。

 

石田:大学は商学部に進んでいますが、その頃はもうファッション業界に進もうと考えていたのですか?

 

大田:考えていなくはなかったというか。親に助けられていた部分があって、「どういう生き方をするかは何でもいいから、親のすねをかじって、とにかく楽しみなさい」と言われていたのです。ですので、学校にはほとんど行かずに、アルバイトをしていました。それでお金を貯めて、服を買いに行っていたのです。

 

<中略・洋服屋、スーパーなどアルバイトの話>

 

久保:就職したのは何年のことですか。

 

大田:1990年代前半ですね。学生の頃に好きだった福岡の「ケーショップ」というお店です。希少性のある商品が揃っていて、初めて「ニューバランス」に出会ったのもこのお店でした。代表的なモデルの「1300」のファーストモデルを買わせてもらったのです。「オールデン」に出会ったのも、ここでした。就職した頃のケーショップはビームスの販売代行もしていて、僕がその担当になったのです。その後、ケーショップは清算され、ビームスに一本化されました。さらに後、僕はユナイテッドアローズ(UA)に入るのですが、その時に面接をしていただいたのも以前、ケーショップで働いていた方でした。

 

久保:最初の就職はケーショップ、働いたのはビームスで、販売スタッフからスタートしたということですね。販売という仕事についてどんな風に感じました?

 

大田:システマチックだなと思いました。ポスレジがあったのですが、以前にアルバイトをしていた簡易レジとはまったく違って、最初の頃は仕組みを覚えるのが非常に苦でしたね。「こんなに洋服屋さんって進んでいるんだ」と、ある意味、カルチャーショックを受けました。

 

久保:システムの進歩がある一方、ビームスに就職する人たちは洋服好きが圧倒的に多いですよね。

 

大田:当時も今も変わらないと思うんですけど、尖ったものをやっていましたし、幸いにも福岡のお店は都内と同じような品揃えが展開されていたんですよ。5フロアあって、1階がカジュアル、2階がウィメンズ、3階がギャラリー、4階が家具、そして5階がカフェ。当時としては刺激的でしたね。ただ、そこでは僕は一兵卒というか。でも1、2番手を争うくらいの販売はしていて、非常に期待はされていたと思うんですけど……。

 

久保:勤めたのは何年ぐらい?

 

大田:1年です(笑)。

 

久保:1年間でも、がっつり仕事をしていたのですね。

 

大田:そうです。僕はカジュアルを担当していました。で、1年経った頃、隣りにあったUAがフランチャイズから直営店に切り替わったんですね。当時は渋谷の1号店がドレスをメインに展開していて、福岡店も同様の売り場展開をしていました。直営店になるに当たって、本社の方針としてドレスもカジュアルもデザイナーズも含めた総合的なお店に転換することになったのです。それでカジュアルを担当する人間が必要だとなった時に、隣りに良い奴がいるじゃないかと(笑)。

 

石田:隣りから引き抜きですか!?

 

大田:さすがに考えました。でもちょうど、洋服屋を一生やっていくにはカジュアルだとつらいだろうな、やはりドレスかなと志向が固まってきていた頃だったんですね。で、ドレスをするならUAだと思ったのです。そういう考え方の変化もあってマッチングしたというか。軽い気持ちじゃないんですけど、早い段階でUAに移ることを決めました。

 

<中略・ビームスからUAへ、販売スタッフ時代の話>

石田:上京されたのはどういう経緯があったのでしょう?

 

大田:UAが商品部門を強化していくことになったのです。福岡のマーケットだけを知っていても全体を見ていけないということで、東京へ。30歳の時でした。商品部に異動になり、「ブルーレーベル」を担当しました。でも、原宿の本店はめちゃめちゃ売れなくて。社内的に「ユニクロショック」と言われた時期があったのですが。1999年でしたか。裏原がちょっとずつ翳りを見せていた頃で、1年間で1度も予算を達成できなかったんです。

 

久保:でも当時、ファッションビルや駅ビルなどのお店は伸ばしていましたよね。

 

大田:他のエリアではできていたんです。ミックススタイルを結構、力強く打ち出していました。スラックスにカジュアルのスエットを着たり、オールスターのスニーカーを履いたり。それまでの「何とか一辺倒」な人たちにとっては非常に新鮮に見えたのかもしれないですね。原宿が1年間厳しかったのは、時代が求めるものが裏原的な「どカジュアル」とは違ってきていたというか。そういう流れが来ていることを、逆にストリートにいたから分かったということもあったかなあ。「よりきれいに着こなさないと」みたいな。それをデザイナーズとストリートのミックスで表現したりしていました。カジュアルでドレスを始めたのもその頃だったと思います。

 

久保:商品部では、ウィメンズもメンズも担当していたのですか?

 

大田:まずはメンズカジュアルのMDをやらせていただきました。創業メンバーで当時は商品の責任者をしていた岩城哲哉さんが直属の上司になって、ノウハウを全て教えていただいたのです。とにかく、「いいからやれよ」と言ってくださる方でした。でも、こうやったらこうなるといったことが、最初の頃は分からなかったんですね。いきなりは難しいということを岩城さんも分かっていたと思うんですけど、「いいからやれよ。やったら分かるから」と。自分なりにお客様のことを因数分解しながら方程式を組んでいくみたいなことをやってくと、実際にお客様の期待に応えられるようになって。それでメンズカジュアルが伸びていったのです。すると今度は、ウィメンズが苦戦しているからウィメンズに行ってくれということになり、結果的にMD全体をまとめる立場になりました。

 

<中略・エストネーションに移籍した時の話>

石田:2018年にエストネーションのプレジデントに就任されました。具体的にどのあたりを変革していこうと考えていらっしゃいますか?

 

大田:ミッションとしていただいたのは、オリジナル商品の強化です。経営側からすると、それがある程度は収益を担保するものになります。ただ、お客様はエストネーションの収益性を評価してきたわけではありません。その狭間をどのように乗り越えるかということは、エストネーションに入る前にお店を見ながら思っていました。

 

現在、お客様から見た時のお店やサイトの品揃えは、7割以上が買い付けの商品です。実際に売っているのもオリジナル商品が3割で、セレクト商品が7割程度。これからは、フェース上は同じ考えで、奥行きの部分ではオリジナルが売れていくという構造で、売上シェアの拡大で収益性を改善していきます、基本的にはこの考え方でMDに取り組みます。ただ、今まではセレクトとオリジナルが別々の取り扱いみたいな形になっていて、それではセレクトを買っているお客様にオリジナルが響いていきません。これからは編集、ミックスしていきます。ということは、オリジナル商品にセレクト商品のお客様がご購入していただけるようなグレードやクオリティー、感度などが必要です。コンセプトをしっかり創り上げて、それに則ってシーズンディレクションを展開し、セレクト商品とオリジナル商品の親和性をより高めていく考えです。

 

石田:では、最後に。ファッション業界を目指す若い方々にメッセージをお願いします。

 

大田:今また時代が変わってきているなと感じます。新卒採用の最終面接をさせていただいているんですけど、今来ているのは「ライン世代」の方々、ちょうど団塊ジュニア世代の息子さん・娘さんです。親御さんの影響を受けていて、非常に良いものを自分でアルバイトをして買っているんですね。それが世代を超えて使っていけるものというか、ご両親が好きなものと息子さん、娘さんが良いと思うものが同じブランドであったりします。ファッション業界としては新しい兆しというか、価値を高められそうな方々が出てくる可能性が感じられます。

 

僕などは子供の頃から本当に遊ばせていただいて、遊ぶことで想像力が育まれるということを経験しながら、洋服の合わせ方や崩し方も学びました。当然、ちゃんとした着こなしを若いうちに学んでいただきたいという思いはあるんですけど、そこからどう着崩していくかが「文化」です。その辺りを楽しみながら学んで育っていただければ、次の洋服業界を背負って立つような人になるんじゃないかと思っています。

 

久保:なるほど。面接の時は第一ボタンを留めて来てください。

 

一同:(笑)

 

<後略・クロージングトーク>

詳細は、SMART USENでお聴きください。

 

SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」、第25回のゲストはゲストはエストネーションカンパニー プレジデント 大田直輝さん

 

▼公開情報
USENの音楽情報サイト「encore(アンコール)」
http://e.usen.com/

 

 

 

 

 

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