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2019.03.08

ゲストは「KEITA MARUYAMA」デザイナーの丸山敬太さん  第20回SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」

 USEN(東京、田村公正社長)が運営する音楽情報アプリSMART USENで配信中の「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」。ウェブメディア「ジュルナルクボッチ」の編集長/杉野服飾大学特任教授の久保雅裕氏とフリーアナウンサーの石田紗英子氏が、ファッション業界で活躍するゲストを招き、普段はなかなか聞けない生の声をリスナーに届けるが、アパレルウェブでは、その模様をレポートとして一部紹介していく。第20回のゲストは「ケイタマルヤマ(KEITA MARUYAMA)」のデザイナー、丸山敬太氏。

▼全編はこちらでお聞きいただけます▼

 

 

提供元:encoremode

<前略・オープニングトーク>

 

石田:お父様が野球選手とうかがいましたけれども。

 

久保:結構、有名な話。

 

丸山:知る人ぞ知る話ですけど、よく驚かれますね。全然毛色が違うので。

 

石田:丸山完二さん。

 

丸山:フルネームで言われる(笑)

 

石田:ですよね?ずっとスワローズでご活躍されたということで。

 

丸山:そうですね、ずっと国鉄時代からヤクルトスワローズ一筋で、野球をやってきたのが僕の父です。

 

石田:そして、野球界を継がずに、デザイナーの道に。

 

久保:継がずに(笑)

 

丸山:継げるもんじゃない(笑)

 

石田:でもやっぱり影響は大きかったんじゃないですか?

 

丸山:よく言われますけど、僕自身は全く野球には興味がなくて。親父も、そんなに熱心に勧めてはこなかったんで、全くやりませんでしたね。

 

久保:キャッチボールした思い出も無いですか?

 

丸山:無いですね。親父はやりたかったのかもしれないですけど、全く興味が無かったですね。

 

石田:ご兄弟は?

 

丸山:姉と弟が。

 

石田:弟さんもそういう感じですか?

 

丸山:弟も若干。でもうちの親父は若い頃、そんなに家庭を省みるタイプじゃなかったので、あまり家に居ないという印象?だからナイター終わって遅くに帰ってきて、僕らが出てから出かけるみたいな感じなので、あまり家に居らず、年の三分の一とか半分近くは外に出てましたね。

 

石田:キャンプとかもありますしね。

 

久保:キャッチボールする時間も無いってことだ。

 

丸山:親父に大人になってから聞いたのは、「いやいや、お前が最初に歩いたり、走ったりした時から、こいつは運動向いてないなというのは分かったんだよ」と言われて、「何そのプロ的観点からもう見ていたんだ」みたいな。

 

久保:その時点でスカウトの目だったんですね。

 

丸山:そうかもしれないですね。だから観に行ったりはしましたけど、やらされることもなく。父は地味な選手だったので、苦労もそれなりにしていて、「それほどさせたくない」というものあったんじゃないですかね。

 

<母親と小学校の話>

石田:図画工作は得意でした?

 

丸山:得意でした。決定的に本気で思ったのは、進路を決めていく中学校の時に、テレビのワイドショーで、(高田)賢三さんのショーをやっていて。それがお城みたいなところで、馬に乗ったモデルが最後に出てきて、すごく華やかな、おもちゃ箱をひっくり返したみたいなロマンチックなショーだったんです。それを見た時に、「本当にこういうことをやる人になりたいな」というのが、自分の中に生れて、その時から賢三さんは自分のアイドルみたいな存在で、ずっと憧れていましたね。

 

石田:高校を卒業して、大学に入る時にはもう決めてらっしゃった?

 

丸山:そうですね。その時点では本当は文化(服装学院)に行きたかったんですけど、親に反対され、その時父親に言われたのが、「専門学校というのは、文字通り専門学校だ。専門のことしかやらない人間が集まるのだけれど、それだと大人になってから利害関係が無い時期に作る人間関係が偏るんじゃないの?」と。僕はあの手この手で親を説得してたんだけど、でもその一言って意外と自分にすんなり入ってきて、「じゃあ、まあ大学に行ってみよう。行ってからダメだったら専門(学校)に行けば良い」と。僕らの時代、ファッションの大学ってほぼ無かったですから。特に男子が行けるところがほぼ無かったので。それで、とりあえず大学に。まあそれも普通のグラフィックのデザイン科でしたけど、そっちに行くことにして、1年位やって、やっぱり違うと思って、親に内緒で文化を受けました。

 

久保:内緒だったんですね。

 

丸山:最初は内緒でした。親に内緒で文化を受けて、それで、勝手に変わったという。だから最初は授業料も自分で払わなきゃいけなくて、バイトしながら、いろいろやってましたけどね。

 

久保:文化に転校する時には親は怒って、「じゃあ、お前勝手にやれ」って感じでした?

 

丸山:あまり覚えてないんですけど、後からバレた感じで。

 

久保:保証人とか書いたりしないですか?

 

丸山:父親は反対だったけど、母親がそこはやってくれたんだと思いますね。「お金のことは知らないから自分でやってよ」って感じでしたね、最初は。

 

石田:文化服装学院では、何を学ばれたんですか?

 

丸山:普通にファッション。洋服作りから、ファッション史などいろんなことを学びましたね。

 

石田:その辺りからブランドを作ろうと思っていたんですよね。

 

丸山:そうですね。多分、僕らの世代って、「王道にファッションやるんだったら、自分の名前でブランド作って、パリでしょ?」って。パリで発表して、世界に向けて、自分のブランドを轟かせたいって、みんなそう考えているかと勝手に思ってたんだすけど。割りと古いタイプの最後の世代だろうなって思ってるんですけど、迷わず、ただそう思ってた。

 

久保:それがセオリーというか、常道って風にね。

 

丸山:そうです。

 

<中略・幼少期の話>

丸山邸 Maison de Maruyama

石田:では、ビギに入社された時の話を伺ってもよろしいですか。

 

丸山:もともと、賢三さんの所で働きたくて、賢三さんを育てられたその当時の学院長、小池(千枝)先生に直談判して、「どうしてもケンゾーで働きたいから、口を利いてください」とお願いして、紹介状を持ってパリに行ったんです。でもその時期テロもあり、ビザも必要な難しい時期で、雇うことが大変だから無理かなと言われたんです。ただ、その時に賢三さんの右腕だった方が、僕が持って行ったデザイン画をバーッと2つの山に分けて、こっちの山は分厚くて、こっちの山は本当に数枚なんですけど、その時に言われたのが、「こっちの大きい山はケンゾーにできることだから要らない。こっちの山は丸山君にしかできないことなので、これを賢三に見せるね」と言ってくれて。「丸山君にはこの部分があるから、日本に帰っても、一生懸命他の仕事をちゃんとしながら、またタイミングがあったら、うちに来てくれる?。この山があることがデザイナーとして大事なことだから」という風に言ってくれて。その後、半年くらいパリとヨーロッパに居て、東京に戻ったのですが、普通の就職の時期と外れてしまって。ただ学生の頃からいろんな人に洋服を作るバイトをしていたので、その時のスタイリストの前田みのるさんが大西くんの所が募集しているから、行ってみれば」と。それで、入れてもらってスタートしたのがビギ、「アツキオオニシ」ブランドでの僕のスタートですね。

だから、もし賢三さんのところに入っていたら、また違う人生があっただろうし、その話をしてもらえなかったら、日本に帰って真面目に一回働こうとは思わなかったかもしれないし、そのままフリーランスでやっていたかもしれない。そういう意味では僕にとって会社勤めをしたのは3年間しか無いんですけど、でもその3年間はすごく大事な3年間でしたね。

 

<中略・ビギ以降、ドリカムの衣裳制作やJALの制服、「道(どう)」の話>

石田:ファッション業界を目指す方に向けてメッセージを頂戴するんですけども、お願いできますでしょうか?

 

丸山:よくね、「デザイナーになるにはどうすればいいんですか?」みたいなことを聞かれることがあって。まあ分からなくもないんだけど、ノウハウって無いので。ただそういう若い人たちにいつも言うのは、「一番大事にしてほしいと思うのは、『やれること』と『やりたいこと』をすり替えないでほしいな」っていう風に思っていて。やっぱりやりたいことをやるっていうことがとても大事で。やりたいことをやる…、でもこういうこと言うと、「夢はみんな叶うわけじゃないですよね?」みたいなことをよく言われるんですけど。そりゃそうです。自分だってまだ途中でしかないから。だけどやりたいことをやって、一生懸命やって、そこで何か挫折するようなことが出てきたら、多分そこで次のステージへの扉が開くんですよね。それはもう絶対にそう。やりたいことをちゃんと真面目に積み重ねてダメだった時にそりゃあショックだし、すごく傷ついたりするかもしれないけど、でもそれは、やらずにここで居るとずっとそのまま持ち続けちゃうんだけど、やり切ってダメだった時には次の扉が必ず開くから。そうすると次の目標が見えて、それは決して挫折ではなくて、ステージが変わっていくということだから。やっぱり漠然とファッション業界ではなく、「なんでファッションが好きなのか?」じゃあ「その何が好きで、自分が何の役に立てると思うのか」というところが大事で。もちろんそれはデザインするところかもしれないし、生地に関わることもそうかもしれないし、もしかしたら売ることかもしれないし、エディットすることかもしれないし。漠然と「服が好きだから」ということじゃなくて、「何がやっていくのに自分にとって響くことなのか」っていう、「何がやりたいのか」を突き詰める時間を作ってくれればいいなと。「方法論が分からない」と言うのであれば、それはいくらでも教えてあげられるんだけど、「何がやりたいか」が無い人には何もしてあげられないので、そこと向き合う時間をたくさん作ってほしいなと思います。若いうちに。

 

久保:なるほど。目標とか目的というのを明確にすることがすごく大切ですよね。

 

丸山:そう。そんなに真面目じゃなくても良くて、3パターンくらいあってもいいんですよ。AとBとC、決められないからでもいいんですけど、とりあえず一回漠然としているものを具体的にシミュレーションしないと漠然としたまま無駄な人生を送っちゃうから。それでいいほど今のファッションを取り巻く環境ってドリーミングじゃないから。でも本当にやりたい人たちにとっては、すごく魅力的な仕事だと思うし、そういう風に客観的に自分のことを見る時間を作ってもらった方が良いのではと。無謀な事でも良いので、それがあったら良いなと思います。

 

石田:若くないですけどすごく響きました。

 

丸山:なにをおっしゃいます(笑) 今日の自分が一番若いんですからね。

 

石田:いいことおっしゃいますね。

 

丸山:でも本当に若いということだけで、すごい宝物なので。時間があるということは、宝物なのでそれを大事にしつつ、羽を伸ばしてもっともっと羽ばたいてくれていいのになって思いますけどね。

 

<後略・クロージングトーク>

詳細は、SMART USENでお聴きください。

 

▼公開情報
USENの音楽情報サイト「encore(アンコール)」
http://e.usen.com/

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