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2018.11.09
第16回のゲストはジュン社長の佐々木進さんとUA&SONS小木“poggy”基史さん SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」
USEN(東京、田村公正社長)が運営する音楽情報アプリSMART USENで配信中の「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」。ウェブメディア「ジュルナルクボッチ」編集長/杉野服飾大学特任教授の久保雅裕氏とフリーキャスターの石田紗英子氏が、ファッション業界で活躍するゲストを招き、普段はなかなか聞けない生の声をリスナーに届けるが、アパレルウェブでは、その模様をレポートとして一部紹介していく。第16回のゲストは、ジュン代表取締役社長、佐々木進氏とユナイテッドアローズ&サンズ・ディレクター、小木“poggy”基史氏。東京・恵比寿のEBiS303で開かれた合同展「SOLEIL TOKYO」会場内で公開収録された模様を2ヶ月に渡ってお伝えする。
<前略・前振り、佐々木氏の幼少時代の話>
久保:大人になっていくに連れて、親のやっていることに対して反発みたいなものとか生まれたりもするかと思うんですけど、そういうことは全然無かったですか?
佐々木:いや、あんまり反発っていうのは無かったですし、幸い父親は友達みたいな感覚だったので、いろんなところに出かけたりしてました。記憶に残っているのは、いろんなことを聞くんですよ。「これを今度作るんだけど、名前は何がいいか」とか。
石田:お父様が?そういう意見を求められたと?
久保:ブランド名とかですか?
佐々木:ブランド名もそうだし、あとは「こういう施設を作るんだけど、どういう名前がいいかな」みたいな。小学校くらいの時。
久保:じゃあ、「ワイナリー作るんだけど、赤と白どっちがいい」とか。
佐々木:それはなかったですけどね(笑)。当時うちの父親はベンツのオープンカーに乗っていたんですね。ツーシーターのSL。それで、二人で乗っていてですね。ちょうど表参道かどこかで女性二人の車と横になりまして、じゃあ4人でお茶しようかって話になって、楽しく会話をさせていただいたりとか、そういう思い出もあったりして。
久保:おしゃれですね。やっぱり。
石田:いやぁ、違いますね。
久保:ファッションだけじゃなくて、今の会長は多趣味で、いろんなことを興味持ってやられる方ですから、そういうのを見て育ってきたって感じですか。
佐々木:そうかもしれないですね。
久保:とても高い絵画なんかを持ってらっしゃって。会社が移転する前の品川の時に入り口に「ビュフェ」が。
佐々木:大きいのがあったりしましたね。
石田:そういう目を幼い頃から養われてきたということですね。
佐々木:養ってきたかどうかはわからないんですけど、そういうものに幸い接してきたっていうのはありましたね。
石田:じゃあ幼心にいつかお父様の会社を継ぐというのはあったんですか?
佐々木:そういうことは意識はしてなかったですけど、なんかその道に自然に行くだろうなっていうのは当然考えていたというか思っていましたよね。ただ多分、向かう山は一緒なんだけど、ちょっと上り方は違うのかなっていうことはありましたね。あとは同じ道を辿りたくないし、違う形で越えたいっていう思いはありしましたね。
久保:代わって、今度はポギーさんの。
石田:どんな生い立ちだったのか伺いたいんですけど。
小木:佐々木さんの後に非常に恐縮なんですけど、ほんとに一般家庭なので。北海道の札幌市の出身で1976年生まれ、今41歳です。実家はほんとに普通の家ですね。乗っていた車が多分「サニー」とかですかね。日産の。
久保:いいなー。急にもう親近感が湧いて(笑)。
小木:さっき、家にあった絵の話になったので、うちの絵は、「クリスチャン・ラッセン」とかだったと思います(笑)。髪の毛が七三でサラリーマンっていう真面目なお父さんでしたね。
久保:ご自身は洋服とか、ファッションとか意識するようになったきっかけみたいのはあったんですか?
小木:そうですね。覚えているのは中学校一年生の遠足みたいなのがあって、そこで初めてファッションを意識して、「リーバイス」のデニムを買ったのがきっかけでしたね。でも、その買ったのが501とかじゃなくて、510っていう当時「足長ジーンズ」と言われてたような、ちょっと昔って足を長く見せたいとかあったじゃないですか。それから中学校の時、不良の人たちが「VAN(ヴァン)」を着てたんですよ。元々はすごくトラッドなアイビーだったものが、流行り過ぎてボタンダウンシャツが学校で禁止になって、その流れで不良たちが着るというアイテムにひとり歩きしていったと思うんですけど。それで、そのヴァンと書いてあるロゴのスウィングトップを、その不良の人たちに憧れて買って、1週間後くらいに恐い人に絡まれて、取られたっていう記憶がありますね。
久保:「脱げ」と。
小木:そうですね。
久保:まぁでも貴重なものというか、高かったんですよね。当時の子供にしてみれば。
小木:そうですね。はい。昔はほんとに田舎だったので、
久保:でも持っていき方としては凄いですよね。ジュンの社長の前でヴァン着ていたっていうね(笑)。二大巨頭ですよね。
<中略・小木氏の高校から専門学校時代の話、佐々木氏のハワイの高校から専門学校時代の話>
佐々木:学生時代、ファッションも好きだったんですけど、音楽もすごい好きで。DJみたいなことも趣味でいろいろとやってまして。夜遊びしてる時に、イッセイミヤケの北村みどりさんという方で、当時プレスをやられてたんですけど、すごい綺麗な方なんです。その方に「新しいショーの選曲をする人を探している」というお話を受けて、「じゃあちょっとやってみたいです」という話になって。でも結局「あなたはそういう仕事をやったことないから、紹介するのでそこで一緒にやりなさい」という話になって。それが四方義朗さんのサル・インターナショナルというショーの演出とか企画をする会社だったんですね。そこで色々とショーの準備とか進行とか選曲とか、そういうことをやり出した。
<中略・佐々木氏のサル・インターナショナル時代からジュンのショーの話>
小木:専門学校を卒業して、何社かアルバイトの面接を受けたんですけど、どこも落ちて、ずっとブラブラしていたんですよ。そうしたら、有楽町のユナイテッドアローズで高校生の時の友達がアルバイトをしていて、「ちょうど空きが出たよ」という連絡が入って、東京に面接を受けに来て。その時、UAって割りと有楽町店でも「マッキントッシュ」とか「インコテックス」とか「ジョンロブ」とか、そういうのがすごく売れてた時代で、やっぱりきちんとした格好を皆さんしていて、僕だけ「シュプリーム」着て、モヒカンみたいな感じで面接受けに行って。「将来何になりたいの?」と聞かれて、「藤原ヒロシさんとかNIGOさんみたいになりたいです」みたいな。そうしたら面接してくれた方が、「君面白いねえ、来週から働きに来て」って。それでバックパック一つで東京に出てきたような感じでした。20歳の時ですね。
久保:それで有楽町店に入られた?
小木:そうです。アルバイトで。朝から晩まで一生懸命働いて。店長がその頃良く飲みに行っていたので、一緒について行って奢ってもらうみたいな毎日で。当時僕は赤羽に住んでたんですけど、有楽町から山手線で行って、終電で帰るんです。疲れていて寝過ごしちゃうんですよね。そうすると、バッと起きたら上野で。上野から赤羽まで歩いて帰ったりとかしてました。それも結構ほんとに朝方なんですよ、着くのが。もういい加減、何回か、10回くらいそれやっちゃって。それで凄い寒い冬の日に、給料日の前日とかにそれをまたやっちゃって、これもう歩いて帰るの嫌だなと思って。ポケットの中には150円くらいしかなくて。とりあえず温かいコーヒーを自動販売機で買って、半分飲んで、半分浮浪者の人にあげて、「朝までしのげる場所どこですか」って聞いたら、「上野の電話ボックスが温かいぞ」って言われて、そこで朝までしのいだりとかもありましたね。浜松町で止まっちゃった時もあって、その時はもうダンボールで寝たりしてました。
久保:ありがとうございます、武勇伝を。リクエストにきちんとお答えいただいて(笑)
小木:今だからこそ言えるんですけど、「借金して洋服買って」みたいな生活だったので、昼間はパン1個でしのいでいましたね。そうすると逆に周りの人が「可哀想だね」っておかずをくれたりするんですよ。今はなかなか無いかもしれないですけど、本当に絵に描いたような「服バカ」だと思いますね。
<後略・小木氏の30代になって一皮むけた話や社内公募の話>
詳細は、SMART USENでお聴きください。
▼公開情報
USENの音楽情報サイト「encore(アンコール)」
http://e.usen.com/
第16回のゲストはジュン社長の佐々木進さんとUA&SONS小木“poggy”基史さん SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」