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2018.08.20

子供服アパレルがベンチマーク 「アーチ・アンド・ライン(ARCH & LINE)」快進撃の背景

2018年8月に初出展したプレイタイムNYのブース

 今年8月、「プレイタイム・ニューヨーク(playtime NY)」に初出展を果たした「アーチ・アンド・ライン(ARCH & LINE)」。3年前のプレイタイム・パリ初出展での爆発的な受注や国内での快進撃で、昨今の子供服業界において動向が注目され、特に小規模の子供服アパレルからベンチマークとされているブランドだ。オリジナルの子供服ブランド、アーチ・アンド・ラインとセレクトショップのOEMを手がける株式会社アーチは、小池直人社長が2012年に個人で創業し、13年から法人化。現在は直営3店舗、卸先100店舗、従業員12人の規模に成長した。この元気な子供服メーカーの背景と課題を追った。

 グラフにあるように、法人設立から5年で年商を約6.5倍にし、国内卸は最盛期120店舗まで伸び、直営店も梅田と博多の阪急百貨店など4店舗を出店した。さらに海外でも15ヶ国以上に30件の卸先を持つまでに成長したアーチは、小池氏の類まれなバランス感覚とマーケティングセンスで業界に注目される子供服メーカーとして成長してきた。平面の生地を立体の洋服にするのに必要なパターンは曲線と直線で構成される。これが「ARCH/曲線=遊び・寄り道」&「LINE/直線=真っ直ぐ・真面目さ」の語源だ。

 

 新潟県村上市に育った小池氏は、中学生の頃、ワッフルのTシャツを友人に褒められてからファッションを意識するようになったという。高校時代からは本格的にファッションに興味を持ち始め、「ベイシングエイプ」や「アンダーカバー」など裏原ブームの影響も受けながら、友人も必然的に服好きが集まるように。「ラフシモンズ」「ヘルムートラング」「クリストフルメール」「APC」「ダークビッケンバーグ」などにも傾倒し、アントワープ6人衆が活躍していた1990年代中盤の時期でもあり、コレクションのポスターを部屋に貼るほどののめり込みようだった。さらに大手セレクトショップも台頭してきた時期とも一致している。高校3年生の時には「エアマックス97」のイエローなどが流行り、ストリート系のブームも来ていた。そんな時期に通ったのは、地元の「ラフォーレ原宿・新潟」に入っていたセレクトショップの「グラムール」。高校生に分割でツケ払いをしてくれる貴重な存在だったそうだ。また、よりオシャレなものを買う時は原宿まで新幹線で出掛けて行った。そんな時代感の中で思春期を送った後、大学進学のため上京することになる。

パターンが分かるデザイナーを目指した小池直人社長

 上京するにあたって、「自分にはデザインの才能はないと思ったんです。それで、父親が機械系の仕事をしていたので、なんとなく神奈川県にある大学の機械工学の道へ進学しました。ただ大学でも洋服好きと仲良くなり、授業がつまらなくて、夜にはクラブへ遊びに行くという日々になりました」とミスマッチを早くも感じてしまったそうだ。設計や製図がしたくて機械工学を選んだのだったが、当時、文化服装学院に通っていた高校の同級生に聞くと、「洋服にも設計や製図があるんだよ。パタンナーというんだ。そういう勉強ならエスモードが良いんじゃない」と勧められ、エスモードの夜間部へ入学。翌年には大学を中退して、昼間部のエスモードに本格的に通うことになった。だが、実際にやってみるとパターン制作には馴染めず。そこで「誰よりもパターンを知っているデザイナーになろう」と決意する。

 

 2002年にエスモードを卒業後、メンズニットメーカーのジムにデザイナーとして入社し、05年にトゥモローランドに転職。メンズカジュアルのデザインを担当した後、独立することになる。ジムでは「ファッションは自由だ」という社風だったが、トゥモローランドは決定的に違っていた。服を見る基準を先輩たちから学んだという。「トラッドであり、ルーツのあるデザインを大切にする面白さ、ある意味、強制的にトゥモローランド化された(矯正された)とも言える」と語っている。

 

 小池さんは元々「10年間アパレルでやったら会社を辞めよう」と決めていたそうで、辞めるにあたって幾つかの観点から自身の検証を試みたそうだ。まず第一にストロングポイントはメンズのデザインができること、一方のウイークポイントは可愛いデザインになりやすいという点だった。トゥモローランドの時には、可愛く甘くなり過ぎてドロップされてしまうケースがままあったそうだ。それがコンプレックスだった部分でもあった。もう一つは自分の子供に服を買っていた際に、「100センチサイズまでは満足できていたのだが、それを超えた途端、アメカジ、ストリートしか無い。セレクトショップで買う自分と同じ世代がもっと普通の親と同じ格好をさせたいのではないか?、特に男の子の親はそう思うのでは?。絶対に勝てるという程の自信はないが、響く人がいるんじゃないか」とふとした瞬間から感じていたそうだ。子供服マーケットをリサーチしてみたら、「やはり意外と甘めの男児服が無いぞ、これは行けるかもしれない。自分の得意技を生かせるのでは」と確信に変わったという。

本格的に始めた2013年春夏コレクション

 自身で5型ほどサンプルを縫い、恵比寿の子供服専門店に持って行って意見を求めてみたそうだ。その際に子供服合同展の「トーキョージュークジョイントキッズ(TJJK)」と「プレイタイム」を教えてもらい、TJJKを主催していたブローの須藤達也社長を訪ね、すぐにマーケティング目的で出展することになった。12年3月のTJJK・12-13年秋冬・大阪展にその5型を持って出展。その場で阪急百貨店うめだ本店「モーダバンビーニ」の立ち上げとともに導入が決まり、さらに専門店4社から受注した。13年春夏物から本格的に展開を始め、そこからはグラフにある通り、とんとん拍子に卸先専門店を増やし、快進撃を続けていくことになる。ただ初回から手応えを感じたのは、男児のきれいめカジュアルゾーンで百貨店にピタリとはまるブランドという点だった。女児を増やしていく中で、その特徴が少し薄まったが、今は親子や兄弟でのお揃いのアプローチもしつつ、まだまだ、男児のきれいめカジュアルの延び代はあると考えている。今でも男児の比率は6割を占め、顧客の撮影会を開くと、7〜8割が男児だという。またフェミニン男子も増え、ワンピースを買っていく男児がかなりの比率を占めるそうだ。

阪急百貨店うめだ本店

博多阪急

 近年は、単品抜きしづらくなってきているという。デザイナー物のようにアイテム一つで強い主張のあるブランドではない為、単品買いだと店の中で埋もれてしまいがちになる。ある程度の品揃えをしてもらって、定番と提案商品の組み合わせのMD型の店が相性良くなり始めているそうだ。そういう意味で、お互いのビジネスプランがマッチするところと太く取引していく方向だ。適正卸先数は80~100店と考えている。販路についても子供服専門店だけでなく、前シーズンから大人だけを仕入れるメンズ・レディスのみの店も出てきている。すでに3世代の服を作っており、大人だけ、ベビーだけの店との取り組みも増やしたい考えだ。直営店はプライスレンジの合う施設に年間1店舗ずつ増やしたいとしている。

2019年春夏コレクション

 一方、海外販路開拓は単純に「憧れ」からスタートし、15-16年秋冬からプレイタイム・パリに出展を始めた。だが、これにも「海外に出せば売れる」という根拠のない自信があったそうだ。「突拍子も無いデザインではなく、ヨーロッパっぽいけど日本人だよね。日本人感が出るスパイスでデイリーなものにバランスをとって落とし込むのが好き。そういうちょっとした空気感が伝わるのでは」と思ったそうだ。初出展にあたっては、以前出展していたメーカーにアドバイスをもらい「5秒のインパクト」をテーマにプレゼンテーションした。例えば、ブランドロゴの下にTOKYOと入れたり、壁面にルックブックを貼り出し、ロープを渡してアイテムを宙に飾るなどブースを立体的に見せる工夫を施した。手前には平台を置き、Tシャツバーを設置。「どこに客目線が留まるか」を気にしながら自分たちなりにやってみた。今ではどれも必要だったと考えている。初回から一気に30店舗を獲得し、一進一退はあるものの着実に海外販路を増やし、すでに海外売上比率は1割を超えている。来年にはブース面積を大きくし、見せ方も変えていくつもりだ。

左がアーチのブース、右はサッカーワールドカップのフランス戦を会場内のカフェで観る出展者と来場者(2018年7月プレイタイム・パリ)

 会社のスタンスは、「人と人を繋ぐという意味でアーチ(橋)を架けるということ。自分たちが動くことでマーケットを作れたり、新しいビジネスが生まれてほしいと思っている。アーチは服でも人でも、親と子でも繋げていくことを意味する。黒子っぽいけど接続できないと何事も成り立たないという感覚でいる。一つのデザインで家族を繋ぐ、ひとつの物からスタートする。OEMの仕事もそういう感覚でやっている」と話してくれた。2018年度は、年間2,000~3,000万円の商いがあるOEMを意識的に受けずに年商を落としているが、結果はオリジナルの年商が増えていることを示す数字となった。

 

 アーチという会社は、小池さんのマーケットを観る目とトゥモローランドで培われたクオリティーとバランス感覚によって成り立っているように思う。そこには「誰よりもパターンを分かっているデザイナー」としての立ち位置と経営者としての理性的な組み立ての掛け算が存在しているようだ。今後の展開が楽しみな子供服メーカーの一つと言える。

 

「アーチ・アンド・ライン」公式サイト


 

 

久保 雅裕(くぼ・まさひろ)
アナログフィルター『ジュルナル・クボッチ』編集長

 

ファッションジャーナリスト・ファッションビジネスコンサルタント。繊研新聞社に22年間在籍。『senken h』を立ち上げ、アッシュ編集室長・パリ支局長を務めるとともに、子供服団体の事務局長、IFF・プラグインなど展示会事業も担当し、2012年に退社。

大手セレクトショップのマーケティングディレクターを経て、2013年からウェブメディア『Journal Cubocci』を運営。複数のメディアに執筆・寄稿している。杉野服飾大学特任教授の傍ら、コンサルティングや講演活動を行っている。また別会社で、パリに出展するブランドのサポートや日本ブランドの合同ポップアップストア、国内合同展の企画なども行い、日本のクリエーター支援をライフワークとして活動している。

 

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