PICK UP

2018.05.15

第10回目のゲストは久保嘉男デザイナー 「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」

 USEN(東京、田村公正社長)が運営する音楽情報アプリSMART USENで配信中の「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」。ウェブメディア「ジュルナルクボッチ」の編集長兼杉野服飾大学特任教授の久保雅裕氏が、ファッション業界で活躍するゲストを招き、普段はなかなか聞けない生の声をリスナーに届けるが、アパレルウェブでは、その模様をレポートとして一部紹介していく。第10回のゲストは「ヨシオクボ」のデザイナー、久保嘉男氏。

<前略・寝屋川、西宮の子供時代、両親との話など>

 

石田紗英子:もう高校卒業の時には、「絶対にこの道に行くぞ」って決められていたのですか。

 

久保嘉男(以下ヨシオ):いやいや、違うんです。実はアーティスティックな活動がちょっとしたいなというのがあって。高校1年位の時、大阪のサンテレビで深夜にミュージックビデオ番組があって、すごく僕には衝撃的で。たかだか5分とか、10分くらいで完結するような映像で。衝撃を与えるような映像を作りたいなと思ったんです。それでアメリカに行こうかなって思った、やっぱり映像だったらアメリカ。アートをまず学んで、そういう道に入って行けたらいいなって思ったんですけど。でもたまたまPhiladelphia College of Textiles and Scienceという学校が横にあったんですね。その時に、「あっ、ファッションの学校がフィラデルフィアにもあるんだ」と思って。受けたら通ったんです。それだったら、1回途中で、編入して、やってみようかなっていうのでファッションの学校に入ったのが、本当なんですけど。だから僕は、映像でプレゼンテーションをするのは、自分のコレクションにも活かしたりしてるんですけど。

 

久保雅裕(以下雅):一瞬、ファッションからちょっと離れて、映像アート関係に行こうかなっていう風に思った時期もあったってことですよね。結果、行ってみたらその横にファッションの学校があって、ちょっと勉強してみようかなと。

 

ヨシオ:そうです。その瞬間から、スイッチが入って、というか切り替わって。

 

<中略・アメリカの学生時代の話から教育の違いまで、そしてロバート・デンスに師事した時期の話へ>

 

ヨシオ:ワシントンDCの政治家の奥様が土曜日に着るドレスを依頼されて、縫い終わってアイロンかけて、ビニール掛けてフェデックスのボックスに入れて、そのまま帰ってしまったんですね。それで土曜日に会社に来たら、僕が送っているべきボックスが目の前にあって。箱は小さかったんですけど、10メートル位に見えて。「これはやってしまったな」と。社長の奥さんに怒られて、「今からすぐ持っていきなさい」と言われて・・・。

 

<中略・事の顛末は…。そして帰国後のブランド立ち上げ時期の話からミュラーの話へ>

ヨシオ:『セックス・アンド・ザ・シティ』を観ている時に、主人公のキャリーがずっとオシャレで、ドレスを毎日着ているので、なんか東京でも普段からドレスを着るというブランドって無いんじゃないかなと思って。僕が得意とするドレスを普段から着るというのもいいかなって思ったんです。だけど、オケージョンのドレス過ぎるのも良くないなって思って。その次に思い付いたのが…。

 

<中略・ワンピースとドレスの違い、初期のルックブックの話>

石田:これからファッション業界を目指そうという方も聴いていらっしゃると思うんですけれども、そんな方にヨシオさんからメッセージを頂けますでしょうか。

 

ヨシオ:今、これを聴いた瞬間に、自分をふるいにかけた方がいいかもしれないですね。「やるのか」「やらないのか」どっちなの?みたいな。多分、職業って長ければ長い程すごくいいものに仕上がると思うので。ファッションデザイナーもパタンナーも営業もスタイリストもその仕事に、今生きてきたこの瞬間までその人の面白いアイデアとか経験をまずやった上での話ですけど。「今からなるって考えたら、それにどっぷり人生を費やしていく」というのがすごく良いと思うので。だから、今「やるか」「やめるか」どっちか決めた方がいいっていうのが一番のアドバイスかもしれないですね。

 

<後略・さらにアドバイスは続く>

詳細は、SMART USENでお聴きください。

 

■公開情報
USENの音楽情報サイト「encore(アンコール)」
http://e.usen.com/

SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」、第10回のゲストは「ヨシオクボ」のデザイナー、久保嘉男さん

メールマガジン登録